理念/ビジョン Vision

志 ~目指しているところ~
今日より明日が少しでも良くなるように

「病気が治る」のは素晴らしいけれど…

「病気が治る」のは素晴らしい。
そして「はじめから病気にならないようにする」のはもっと素晴らしい。そうは思いませんか?

病気になってしまってからそれを治すのには、時間も、手間も、お金もかかります。そして自分や周りの人達の、気力や体力も奪っていきます。

「今ここ」で自分の生活を見直し、自分の体と心にきちんと向き合い、生き方を正していくことで、少しでも病気になる可能性が減らせるのだとしたら、少しでも病気が悪化するのを防ぐことができるのだとしたら、そして少しでも健康に過ごせる時間が増えるのならば、今そのために費やす時間やお金は決して無駄な投資ではないのではないでしょうか?

いま、時代は予防医学にシフトしてきています。
調子が悪くなってからケアをする今までの医療の在り方ではなく、「調子が悪くならないようにするケア」や「調子がよい状態を保つためのメンテナンス」を中心とした「予防」がこれからの医療のキーワードになっています。

病院で行われている治療は、病気がある程度の段階まで進行してしまっている時には非常に有効です。特に、事故や怪我などの外傷の治療や、ウィルスや細菌などによる疫病や伝染病の治療は、現代医学が得意としている所です。

医学の研究や技術の発展はめざましく、善意ある研究者やお医者さんの熱意と努力によって、数限りない命が救われてきたこと、救われていること、救われていくことは間違いありません。現代医学は私たちの生活には絶対に無くてはならないものですし、絶対に必要なものです。

現代医学も万能ではない

しかし、この「現代医学」も必ずしも万能ではありません。

心と体のつながりを全く無視して、体を「物」としてしか見られないお医者さんは未だに数多くいます。私たちは、「わたし」とは「心」であり「体」であることを感じているはずです。それに私たちは、検査結果や、数値や統計だけでは測れない存在ではないでしょうか?

人間を部分的にしか見ず、「胃が悪ければ胃だけ処置する」という対症的な治療が主流であり、では「そもそもなぜ胃が悪くなったのか?」という根本に触れようとしないのも問題の一つでしょう。「悪く」なったから手術で切る。それで全ては解決なのでしょうか?

薬に頼りすぎなのも問題ではないでしょうか?どんな薬にも必ず副作用があります。胃薬をのめば胃の痛みは治まるかもしれません。睡眠薬をのめば眠ることはできるかもしれません。

しかし、それによって他の部分に負担がかかるのを否定することは誰にもできないはずです。眠れないから睡眠薬を飲んで、そうすると胃が荒れるから胃薬を飲んで、今度は気持ちが不安定になったから安定剤を飲んで、逆に下がりすぎたら抗欝剤を飲む。これは全体的に心と体を見たとき、長期的に考えたとき、果たして「最善」の選択なのでしょうか?

「病気」か「健康」か二極的な考え方

「病気」か「健康」かという二極的な考え方が主流なのも問題です。診察に行けば、全ての人は「健康」か「病気」か、「白」か「黒」かに分けられます。

しかし、実際に生活していれば感じることですが、「病気」ではないけど「健康」でもない。ということはよくある話です。なんだか調子が悪くて病院に行ったけれども、検査して、数値をみて、レントゲンを撮って、「異常ありませんね」で済まされてしまった経験はありませんか?ご自分はなかったとしても、ちょっと聞けば周りにそんな経験をしたことがある方が必ずいらっしゃるはずです。

東洋医学の「未病」という概念

東洋医学には「未病」という概念があります。「健康」と「病気」は切り離せないもので、「白」が段々と「グレー」になり、また段々と「黒」くなってゆくように、本当は「健康」から「病気」にも様々な段階があります。この「グレー」ゾーン、「未病」の段階を治療することは、東洋医学の最も得意とする所です。

また東洋医学では、体と心のつながりを非常に大切にし、局所的にではなく全体的に人をみて、対症的ではない、根本的な治療を主眼としているのも特徴の一つです。

整体や気功・指圧も東洋医学に含まれますが、他に、漢方・鍼灸などの中国の医学、インドの伝統医学であるアーユルヴェーダなど、世界には現在日本の病院で一般的に行なわれている治療以外にも様々な「医学」があります。

「武医同術」という言葉があるように武術も、そしてヨガや瞑想もまた心身の健康を促進するという点から言えば広い意味では医術に含まれるでしょう。また「医食同源」というくらい食事だって大切ですし、着ている物や身につけている物の色、周りにある色や空間もまた、私たちに大きな影響を与えます。香りや音も同じです。

西洋医学でも、我々が普段慣れ親しんでいる手術や薬などの治療法(「現代医学」/アロパシー医学)以外にも、オステオパシー医学というものもあれば、ホメオパシーやナチュロパシー、カイロプラクティックなどの代替医療など、様々な治療法があります。

不得意分野を補いあって共存する未来の医療

それぞれの治療法にはそれぞれの思想や哲学があり、得意分野が異なります。例えば、東洋医学の治療の多くは速攻性に乏しく、既に真っ「黒」くなってしまったもの、既にある程度まで進行してしまった病気は治しにくい、という欠点があります。東洋医学しかない世界になったら、今は救われている多くの命は失われてしまうことになるでしょう。またその結果は数値で測定できるものばかりではなく、効果が分かりにくいのも欠点と言えるかもしれません。

そんな風な、それぞれの個性を持った様々な「医学」が、それぞれの不得意分野を補いあって共存するような、そんな医療が未来の医療の姿の理想形だと僕は信じています。

だからこそ、将来的に
『そんな各界の超一流の人たちが集まり、予防的な治療を行なうだけではなく、体や心について教え・学び合い、心身ともに健康に「よりよく生きる」方法を楽しく研究し、追求することできる』
そんな場をつくることができたら面白いだろうな、と夢想しています。

そのためにもまずは自分が超一流になるべく、昨日より今日、今日より明日が少しでも良くなるよう、日々人間性と腕を磨いていきたいと思っています。

健康な生活を送るコツ

テーマ:体の声を聞く

「ささやき声に耳を傾ければ、叫び声を聴く必要はない」という言葉がネイティブアメリカンのある部族に伝わっているそうです。

はっきりとは覚えていませんが、「物事が大きくなってから解決するのは下。問題が小さいうちに解決するのは中。問題が生じないようにするのが上。」という一節が、老子か荘子の言葉にもあったように記憶しています。

とかく忙しい日常の中で、私たちはきちんと「体のささやき」を聴いているでしょうか?

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私たちの「頭」(理性)や「心」(感情)は、何が正しくて、何が間違っているのか分かっていません。(「いやいや、私はいつでも完璧に正しい」と思っている方もいらっしゃるでしょうが、それは大体の場合勘違いです。)

でも私たちの「体」は、「本当は何が正しいのか」ちゃんと分かっています。体は潜在意識と深くつながっていて、いくら頭で「好き」と思い込もうとしていることでも、心で「欲しい」と思ったとしても、自分にとって「良くない」物をきちんと見分け、それを様々な形で知らせてくれています。

それは「なんとなくすっきりしない」「気持ちの悪い感じ」であったり、「イライラ感」であったりするかもしれません。または「疲労感」であったり、頭や肩、首や腰の「こり」や「痛み」や、あるいは「やる気の起きない感じ」かもしれません。「食欲のなさ」や「食事後の不快感」、「便秘」や「下痢」、「冷え」や「むくみ」、「不眠」や「不安感」、「居心地の悪さ」かもしれません。

それらの「体の声」は、「何かが間違っている」ことを、私たちに知らせてくれています。

ごく一部の場合を除き、病気や不調はある日突然なるものではないと思います。少なくとも8~9割の病気は、事態が深刻になる前に、必ず体からその様な何らかのサインや危険信号がでているはずです。

もしそれらのサインが「ささやき」のうちにきちんと向き合って、「何が間違っているのか」をきちんと知り、頭で理解するだけでなく腹に落として、それを正すことをすれば、大病という「絶叫」を聴く必要はなく、殆どの病気は防げる、と僕は信じています。

私たちは痛みや不調を嫌います。それは生き物として当然と言えば当然のことです。しかし別の見方をすれば、体の痛みや不調は私たちに「間違った方向」と、「正しい方向」を示してくれています。それがあるからこそ、私たちは「どちらの方向に向かえばよいのか」知ることができます。

見方を変えれば、痛みや不調は、そして病気でさえも、本当は私たちをよりよい方向へと導いてくれる「ガイド」なのではないでしょうか?

それは、私たちの人生に起こる問題や困難が、実は私たちに更なる成長の機会を与えてくているのととてもよく似ています。そこから「何かを学びとろうとする意思」さえあれば、そこから目をそむけずにしっかりと耳を傾けさえすれば、私たちは必ずそこから何か得ることがあるはずです。

人によっては初めのうちは、「大声」すら聞こえないかも知れません。しかし、意識してきちんと「聴く」ことを習慣にすれば、誰にでも次第に「ささやき」が聞こえるようになってきます。そして更に感度があがれば、今度は「心地よさ」や「安らぎ」、そして「幸せ」という「歌」も聞こえてくるかもしれません。

そこまでいけば、そこまで深く優しく自分の心や体と対話することができる様になれば、ごく自然と正しい選択をする様になり、自分にとって、そして周りの人にとって、「良い」ものしか選ばないようになるはずです。

その時には、今「良いものだ」と思っているものが、実はそうではなかったと気が付くかもしれません。あるいは、今「楽しい」と思っていることが、自分を害している、と気が付くかもしれません。また逆に、今自分にとって全く「価値がない」と思っていることが、本当はとても大切なことだった、と気が付くかもしれません。

今、あたなはどんな「声」を聴いているでしょうか?
「ささやき」は聞こえていますか?

人生の指針

誰に対しても
愛情と忍耐と敬意を持って
人に接する

30代の半ばまでずっと、孤高の人になるべく生きてきたので、チームプレイは確実に落第点です。零点に近いかもしれません。

愛情、敬意、忍耐、どれも足りませんが、特に忍耐がないので、只今特訓中です。広い心で暖かく見守っていてください。

あきらめない

人生を通じて一番苦手なことです。移り気で、何事にも熱しやすく冷めやすく、やる時はとことんやるけど、飽きるととたんにやめてしまう。そんな性分です。